家族が自由になるのは看護婦がいるときだけ M.Y. 1999、7、3
交流会の件、返事が遅れてすいません。大賛成ですが、残念ながらうちの女房は出席できません。介護をするヘルパーはいても、医療行為であるタンの吸引ができるのは法律的に妻か1週間に3回、1回に1−2時間程度の訪問看護婦だけだからです。
いま、娘の父兄会、運動会、学芸会にはほとんどいけません。看護婦はヘルパーに比べ高額です。そればかりでなく長時間看護してくれるひとがいないのです。したがって、このあいだテレビ「クローズアップ現代」で放送されていたように、ヘルパーに違法としりながらたのんでいるのが多いのではないのでしょうか。介護と看護は明確に違うのに、公的補助はそのことについてあまり明確になっていません。
呼吸器使用者の家族が自由になるのは看護婦がいるときだけです。ヘルパーではだめなのです。このような事情から、家族が出席するのもおそらくむずかしいのが現状です。問題提起はメールでさせていただきます。情報が一番大切です。できるかぎり皆をネットでつなぐことも同時に啓蒙していく必要があるとおもいます。
いったん出発したらあとはイケイケ! 古跡 1999、8、9
8月7日三原やっさ祭りでいろんな障害を持った人たちとそれにかかわる人やライオンズクラブの人たちの集まりの踊りの連「明日に架ける橋」に参加しました。
明日に架ける橋チームの始まりは、三原福祉短大ボランティア部の人が、1998年1月、拙宅に「いっしょにやっさ踊りに参加しませんか!?」と話を持ってこられたことからはじまりました。そして検討した結果それぞれ違った障害を持ったいろんな人たちと、健常者の人たちがいっしょに踊るチームを結成することにしたのです。
三原福祉短大ボランティア部が中心となり障害者の作業所、グループ、団体に連絡を取り、すったもんだを乗り越えて、結成にいたりました。広島頸損ネットワーク、あいうえおの会、希望作業所、さぼてんの会、スイミー、どれみの会、ひまわりの家、三原ケアネットワーク、三原市障害者の生活保障をすすめる連絡会、三原ライオンズクラブ、ワークセンター創造、広島県立保健福祉短期大学ボランティア部が集い、総勢132名もの大団体になりました。
チーム名は自分の提案で、♪サイモンとガーファンクルの「生きることに疲れはてみじめな気持ちで/つい涙ぐんでしまう時その涙は僕が乾かしてあげよう」という「明日に架ける橋」から取りました。
寝たきりの生き様この世にさらけ出し明日に架ける橋を示さん
台風がちょうどいい風を送ってくれて少し暑さをしのげ、まさに神風。明日に架ける橋チームは今年で2回め。去年は最優秀新人賞を受賞。
出発する前はいろんなことを考えるんですよ。なにしろ歌などでうるさいので、途中呼吸器がはずれたら……、痰が詰まったら……とか。でも出発したらイケイケ! です。沿道の人たちの暖かいかけ声や視線に思わず涙してしまいました。
僕は経験はありませんが、案ずるより産むがやすし。来年は少々着飾って出ようかなー(^0_0^)
はじめは介護者2人必要 古跡 1999、8、10
外に出たとき一番気を付けるのは介護人との連絡です。祭りはもちろんですが、スーパー、デパート、交通量の多い所などけっこううるさいんですよ。静かなところだと舌を「こんこん」とならすと連絡がつくんですが、うるさいと呼吸器の警報も聞こえませんし、そんなときは車椅子を押してもらってる人に頭を揺すったら危険信号とか約束事をもうけて対応してます。また笛が少しでも鳴らせたらこれもいい連絡方法になりますよ。けっこう聞こえるそうです。うるさい所に出る前、管の確認は重要なこと、最初は面倒ですが外出を繰り返すうちに当然の行為のようになります。
吸引は小さいキャリーワゴンに携帯用の吸引器を積み、押してもらい一緒に行動する。また車椅子にテーブルを付けてその上に吸引器を積む、移動する車の中で携帯用の吸引器でしっかり痰を取って店の中に入って買い物をするとか(この場合長時間はダメ)いろいろな方法を取ってます。
最初は自分を入れて3人以上で外出したほうがいいですよ。介護人が車椅子から離れるとき、たとえばトイレとか会計とか、そんなときは必ず離れても良いかどうか確認してから離れるようにしてください。30秒でも一人だとドキドキしどおしです。(^.^)/~~~
ありがとう、茶髪のあんちゃん 古跡 1999、9、10
車椅子で外に出る。みんな親切。頭をしっかり下げられない、しかも大きな声でありがとうございますと言えない。自分を笑顔で見つめ、道をあけてくださる。生きてて良かったと思う瞬間。
近くの神社の急な坂道をボランティアの人たちと必死の思いで降りてると、坂の下に急にワゴン車が止まり、茶髪のあんちゃんが飛び出して走りより、なにも言わずに車椅子を支えてくれた。下まで降り安全を確認すると、笑顔を残しなにも言わずに手をちょっと挙げ、「それじゃ」といった感じで去っていった。まるで映画の中で見た現代の石原裕次郎さんのようだった。ありがとうというのが精一杯で、名前も聞けず。自分は笑顔の中に涙がポロポロ。日本の未来に光が射した。この日から外出することに迷いは消えた。ありがとう名も知らぬあんちゃん。
自動車のリフターから転落 古跡 1999、12、18
雨の中、車椅子で車に乗るためにリフターに乗り、上にあがったとき、何かが引っかかったのだろうか、後ろにひっくり返り車椅子ごと後ろに落ちてしまった。落ちかけたとき、落ちる途中頭にうかんだことは、「アレレー! 自分では何もできない助けも呼べない。ただ運を天に任すだけ」というよりも「おっとと! できることをすれば何とかなる」でした。パニック状態の母の「助けてー」の声を聞き多くの人が駆けつけてくださり、助けてくださいました。雨に濡れながら車椅子と僕の体を起こし僕が大丈夫とわかると、「よし」と言って笑顔で行かれた人たち、アンビュウを押してくれた女子高生たち、雨が僕の顔にかからないように帽子を脱いでかけてくださった人、ありがとうございました。「今の生活を続けても良いんだな」と新たに許可をもらった気持ちでした。
携帯用の吸引器を忘れて危機一髪 古跡 1999、12、18
ついこの前ですね、福祉短大へリハビリに行ったとき起こりました。着いたとたん車に揺られたせいでしょうか痰のかたまりが出てきて気道をふさいでしまい、警報がピーピー。さあ吸引しようとしたら大変なことに気がつきました。携帯用の吸引器を忘れてきてしまったのです。すぐに短大の吸引器を用意してもらい痰を取ってもらったんですが、なにしろ日頃めったに使わないので準備にちょっとかかり苦しかった。
行ったところが福祉短大だったから心に余裕があってよかったんですが、どっかよそだったらと思うとゾーとしました。それでですね、よせばいのにその帰りスーパーに買い物によりましてハイ、そこでうるさい音楽の鳴ってる中で呼吸器が外れちゃいまして、警報は付き添いの人には聞こえず気づいてもらえない。さっきリハビリした呼吸をしながら、気づいてもらうためにちょっと動く頭を一生懸命振りました。5〜6分たったでしょうか(気分は10分以上たった感じ)やっと気づいてもらい、つないでもらいました。
その間思ってたことは「まだ大丈夫、まだ大丈夫、何のこれしき苦しゅうない、苦しゅうない、大丈夫だって」の繰り返しでした。もうだめだーとか苦しいとか思いたくなかった。うそでもいいから少しでも心に余裕をもちたかった。
日常的主体性を取り戻せ M.Y. 1999、1、17
昨日はお電話ありがとうございました。藤木さんの本の解説とトマトホームページを拝見し、すさまじい経験のなかから見出された優しい心にとても感銘を受けました。
私たちの身体はもとには戻すことはできません。それでも回復ということがあるとすれば、失われたささやかな日常的主体性を取り戻すことが第一歩だとおもいます。朝日が目に入るのも気づかずカーテンを開ける看護婦や介護者の無神経によって、私たちは少しずつ完全な病人になっていくのです。
私は健常者という言葉がきらいです。「常に健やかなる者」なんて私たち障害者に対峙する言葉として、ふざけているとおもいませんか。社会的弱者という言葉もきらいです。社会的弱者は心の弱者ではないのです。
精神の回復度合い M.Y. 1999、2、1
本日ビデオと本を受け取りました。ありがとうございました。簡単にビデオのことを引き受けましたが、結構むずかしいですね。私自身は、他の障害者のビデオはまったく見る気がおきませんでした。実はいまもそうです。きっと私がまだ精神の回復途中だからでしょうね。またメールします。
藤木 1999、2、1
実は、私もそうでした。活発に動いている障害者とあうのも嫌でした。好きな本を読むことだけが、気晴らしになっていたような気がします。また、お邪魔させて下さい。
精神面回復し、情報を入手したくなる 藤木 1999、8、5
呼吸器利用の皆さんと松井先生へ。東京都在住の中山功太郎さんをご紹介します。
ラグビーで頸髄損傷になり、呼吸器を24時間使用している中山さん宅を訪問してきました。体つきは現役のラガーマンのようで、毎日10時間くらい車いすに乗って在宅生活をしています。頸髄損傷歴は、5年くらい。
1分間でも呼吸器が止まってしまうと、アウトになってしまうと話してくれました。会話は、ほんの小さな声で、私には聞き取れない言葉がたくさんありました。自宅の改造、ECS、パソコン、呼吸器も積める電動車いすなど、ハード面では完備しているように思いました。
精神面では、最近になってやっと回復し、多くの情報を入手したくなったり、障害の仲間と交流したくなったと話しておりました。そこで中山さんをも加えた呼吸器利用者でパソコンを使える人が、情報交換できればと期待して、このメールを送ります。皆さん、よろしくお願いいたします。
今の私の気持ち
M.Y. to T.K. 1999、7、6
宗教的な悟りや信仰による救いとはまったく無関係です。自分の人生を阻んでいるものに対して一矢を報いたい、というのが今の私の気持ちです。社会にはたらきかけ、なんとか現状を打破しようとする行動力を評価します。障害を持ちながら行動をするというのはたいへんなことです。比喩ではなく命懸けだとおもいます。
私はまだ「せきずい基金」の活動をお手伝いするところまでいっていませんが、応援しています。自分の心情にいつまでもとらわれ、自分の世界にとじこもっても何も打開されません。弟さんがいまどういう気持ちかわかりませんが、選択肢はそんなに多くありません。家族や友人とのコミュニケーションが一番大切ですが、安易な同情は最悪です。
私を救ったのは家族、友人の献身的努力でした。彼らが私のためにしてくれたことを絶対に無駄にしたくないのです。
在宅になると家族は自由な時間がほとんどなくなります。ヘルパーをたのんでも彼らはタンの吸引などの医療行為は許可されていません。家族か訪問看護婦にしか許可されていません。タンは24時間対応しなければならないので想像を絶する困難な状況におちいります。妻は入院中毎日4時間・650日私の世話をしてくれましたが、在宅のほうが何倍もたいへんだといっています。それでは。
比較すべきは昨日の自分
M.Y. to T.K. 1999、7、13
弟さんのプロフィールありがとうございました。まったく、仏陀の言った通り人生は苦悩に満ちていますね。言葉が出ません。弟さんの精神状態がいまどのようだかわかりませんが、私の経験から、絶対やってほしくないことがあります。それは、同病の他の患者と比べることです。もちろん私とも。「あなたより重症なのにがんばっている」、この言葉は禁句です。あくまでも昨日の自分より向上したかどうかが問題です。
入院中、四肢麻痺患者が書いた絵画集や闘病記をもってきてくれた人が何人もいましたが、自分が苦痛のなかにあるのに、ああいうものを読む気にはとてもなれません。元気な人がちょっと落ち込んだとき読む、人生のスパイスといったところでしょうか。他人の工夫などは大いに参考にしていいとおもいますが、症状や精神の比較などは当人にとって非常に不愉快なのです。こころあたりありませんか。励ますときには十分注意してください。献身的なお姉様が言うことなので素直に受け入れるとおもいますが。
私はクリスチャンではないのですが、病院のシスターが1週間に1回病室を訪れ聖書を読んでくれました。いつも、「あなたが苦しみに耐えたのは自分たちのためだったのだと、いつか必ず娘さんたちが感謝するからがんばりなさい」と言って私を励ましてくれました。
追伸 弟さんの体格を考えると、電動リフター、電動ベッドは絶対必要です。介護する人間が腰を悪くします。一般的にヘルパーには年配の女性がおおく、被介護者も老人が主で、大柄な若い人にはなれていないのです。私は弟さんにくらべると小柄(165cm、63kg)ですが、老人とはだいぶ違うようです。
仲間外れにしないで 古跡 1999、9、10
貴方にとって私は何なんです? つぎ私は何をしたら? 誰でもよく落ち入る疑問だと思います。あまり深く考えるのはよしましょう。
車椅子に乗って自動車に乗った時、よく揺れるんですよ。特にでこぼこ道で、リクライニングを中途半端にしてると、恐ろしいほど飛び跳ねますので気を付けましょう。介護もいっしょ、物を頼むのに変に御機嫌を伺って返答の声、顔色まで気にしてしまう時があります。
いなければいないですむ存在と感じる時じゃ。受け答えの態度で邪魔者と感じる。寂しい悲しい情けないもんじゃ。家におらんにこしたことはない、まあいるけえしょうがない。世間体もあることだし……。こんな家族でも他人がはいれば変わるでしょう。
ちょっとした井戸端会議の仲間にも入れてくださいな。正面に向かい合うだけでも、楽しさを感じます。一人だけつんぼさじきになりたくないんです。
こんな格好してても生きてる人間の、忠告、進言、真剣に考えてくれ。びっくりするほど良くはならんかもしれないが、悪くはならんじゃろう。
すまん、申し訳ない
古跡 1999、9、10
あらゆるハプニングを頭に入れて行動する。信じて頼るだけでは、ハプニングが起きたとき責任の押しつけあいになる。
そう考えるのが当たり前のようになる。常に自分の人生の終わり方を想像しなくてはならない。そして信頼している人に伝えとく。常に戦場で流れ弾をよけてるような感じか。今もそんな思いで書いている。きりがないと言われればそれまでだが、自分が生きてることは、常に背水の陣。だから人に多くを期待をすまいと思うのだが、つい人の親切に甘え自分の弱さが出、期待をしてしまう。こうして生まれれた人への期待が、かなえられなかったときのショックの大きさが、いろんな思いに出るのだろう。
もちろん自分にたずさわってもらう方々に、命を守ってもらってることに常に感謝はしております。つねにありがとうと心の中で言っている。家族に対してはありがとうよりも、すまん、申し訳ない、が先に来てしまう。もし家族に対して素直にありがとうが出たときは、自分がさとりを開いたとき、家族の生き別れを余儀なくされるとき、そして死期を悟ったときではないのだろうか。
こんな表現しかようしない自分、許してもらいたい。
短歌・詩
古跡 1999、10、22
お許しを老いゆく母をこき使い生き長らえる根性なしを
我が服をかっこいいからくれといういつの間にやら大きくなって
障害者田舎施設に押し込めて街の福祉という事勿れ
世が世ならとっくに棺桶墓の中この世に生きる役目あるはず
わっ鳥が 鳥が飛び込んできた
君は誰の使いか
何か伝言でも
まさか借金取りの使い
そうにも見えんが 小鳥さん
ひょっとしたら幸せの青い鳥
あめで色が落ちましたか
お疲れでしょう
お色直しできるまでお泊まりください
宿賃?
とんでもない
どうしても とおっしゃるなら
幸せを一つ おいていってくれませんか
細かい話はパソコンで M.Y. 1999、7、17
電動リフター、電動ベッド、エアマットなどは自治体から補助金がでるとのことです。改装、公的補助については妻が熟知しています。補助金は事前申請です。購入する前にする必要があります。
わが家は、私がしゃべるのが不自由なので細かい話は家の中でもメールでやりとりしています。誤解がなく便利です。私はどうしてもあえぎながらしゃべると面倒くさくなって言葉足らずになってしまうのです。
ホームページに意見を投稿 中山 1999、12、21 私にとって、パソコンとは自由の代名詞のように思えます。
四肢麻痺に加え人工呼吸器を使用している私は、常に誰か(介護者)が付き添っており、決して一人になることはありません。常に介護をしてくれている母親にはたいへん申し訳ないのですが、本当に一人になりたくてしょうがない時があります。特に天気のいい日に近所を電動車椅子で散歩している時などは、「このままひとりでどこかにいきてーなー」と思ってしまいます。しかしながら、近所の散歩ですら介護者といっしょでなければできない者が、一人でどこかに行けるはずもなく、イライラしていました。
そんなイライラを少しでも解消してくれるのがパソコンです(すべてを解消してくれと言うのは無理です)。現在インターネットのホームページは、ほぼ無限にあると言ってもいいでしょう。あらゆる情報がそこにはあります。旅行、映画、障害者などなど……。そのようなホームページをただ眺めているだけでも十分楽しいのですが、パソコンが他のメディア(テレビやラジオ)と違うのは、参加できるということです。たいていのホームページは、Eメールを送れるようになっており、自分の意見や感想を言えます。またそこで出会った人と個人的にメールのやり取りをすることもあります。これは私のように、手も動かず、声もうまく出ない者にとっては画期的なことです。手紙や電話のように他人とコミュニケーションがとれるのです。さらにチャットにいたってはリアルタイムで相手と話ができ、まさに電話といっしょです(私は疲れるのでチャットはやりませんが)。
私の一番のストレス解消法は、テレビ番組などのホームページへの投書です(かなり暗い)。ふだんテレビを見ていることが多い私は、言いたくても言えないことが山ほどありました。
しかしパソコンを使うようになり、ほとんどのテレビ番組がホームページを持っていることに気付き、それからは意見や感想をEメールで送って日ごろの鬱憤を晴らしています。
またレンタルビデオで映画を観た時は、そのレンタルビデオ店のホームページに感想を送ったりしています。
私は主にこのようにパソコンを使っています。かなり幼稚に使っているように思われるかもしれませんが、それでも私にとってパソコンは最高に自由な時を与えてくれるかけがえのない物です。