<前へ


危険と恐怖

 

 リーブと同じ状況 M.Y.  1999、3、2

 「タイム」の記事、ありがとうございます。感動しました。リーブの状況はほとんど私の状態と同じで、つまり彼の不安は私の不安でもあります。これほど細かく的確に、私のような状況を記述したものを他に知りません。これをなんとか「はがき通信」のような会報に載せられないでしょうか。是非みんなに読んでほしいと思います。

 実はこの記事の一部を97年(私の事故の翌年)にアメリカの友人が送ってくれて読んでいたのですが、今回全文を日本語で読めてとても良かった。どなたが訳したのか存じませんがとても良い訳でわかりやすかった(クリスの奥さんはダナでなくデイナ、文中の病名アゼルハイマーとあるのはアルツハイマーだと思います)。浜松医大の松井先生にも是非送って差し上げてください。

 なお、記事の中にあるトラッチは「カニューレ」、ポップオフ(直訳は「ポンと外れる」)は呼吸器のホースがカニューレから外れ呼吸ができない状態のことです。この時は呼吸器の警報装置がけたたましく鳴ります。この記事はその恐怖感がよく表現されています。

 それにしてもクリストファー・リーブって本当にすごい男ですね。

ひとりにしないで           古跡  1999、9、10

 恐怖、それは呼吸器を付けた自分が、一人になってしっまた時のことです。街の中、車の中、部屋の中、どこでも、気が付いたら周りに誰もいない。介護してくださる人がおっしゃるには、そんな酷いことした覚えはありません、と。解らないのも無理ないです。仕方ないといえばそれまでですが、もう一度お互いの盲点を確認してみましょう。

 街の中で介護してくださる人が、ちょっと車椅子から離れるときの伝言が、街の騒音に消されて伝わらないとき、特にお祭りやスーパーの特売日などは、お互い確認するようにしましょう。絶対離れないと思っていても、トイレとか、御勘定とかあるものです。また離れなくても街の騒音でお互いのサインが伝わらない、という時もあります。こんな時は、さわがしところを急いで離れるか、その時のために特別なサインを決めておく必要があります。そばにいてもらっても何も伝えることができなかったら、街の中に一人でいることと同じなのです。

 パチンコに狂った親が、車の中に子どもを置き去りにして、子どもの苦しみを考えもせず遊興にひたる。まさかこんなことはないでしょうが、ほんの瞬時ですが私たちにとっては、似たことが起こるのです。たとえば、運転手さんが降りて、隣の付き添いの人も、後ろのドアを開けるために降りました。この時、車のドアはみんな閉まっています。中には一人です。声を出せない私たちは、何が起こっても誰とも連絡が取れません。

 ちょうどそのとき付き添いの御知り合いの方が通られ、なんと二人が長話を始めてしまいました。長話といっても2、3分です。でもこの間が私たちにとって恐怖の時間なのです。もし呼吸器が外れ、おまけに痰が詰まっていたら、あの世行きの切符を手にすることができる十分な時間だからです。そこまで考えんでも、と思いがちですが忘れないでください、いつ起こってもおかしくないことなのです。こんな時、必ず、連絡取れるようにして、心行くまでお話しください。

 つぎに部屋の中でいつのまにか一人になっている時があります。朝起きて周りに人の気配がなく、“コンコン”と舌を鳴らしても応答がない、コールで呼んでも誰も来ない、あれー消えちゃった。何分経ったでしょうか、ドアがあいて白いかごをもって人が入ってきました。要するに、良く寝てるから起こさないようにと、静かに洗濯物を干しに出ていたのです。良く寝てるから起こさないようにと、気をつかってもらうのはたいへんありがたいのですが、こんな時は一度声をかけてやってください。起きなかったら申しわけございませんが、洗濯物を干すのはまたの機会にしていただき、ほかの用事をするようにお願いしたい。声をかけ起きたなら、「ちょっと洗濯物を干しに出るから」とおっしゃっていただければ本人も心構えができますので、予期せぬ不安を避けることができ、ジーッと待つことができます。

 そのときもう一つお願いがあります。体の状態を聞いてやってください。吸痰が必要か否か、導尿は、飲み物はなど聞いて、要望があればこたえてやってください。この一言で介護人が部屋から外に出ても、まったく不安がないといったら嘘になりますが、心構えができ、あと何分、あと少し、などと考えながら戻ってくるのを待つことができます。部屋、家から外、コールが届かない所にいかれる時は、必ず連絡をとり身体の状態を聞いて、出てください。長くても5分、大変でしょうが、ひとりになることは、寂しいんです。恐いんです。解ってください。

 一人じゃないのに一人の状態になる――街の中じゃない、静かな家の中――、それは夜なんじゃ。みんな一日の疲れを癒すのにぐっすり寝込む、ごく当たり前のことなんじゃが、私たちがいるために夜中2、3度起きてもらわなくてはならないのです。いつもいつも、ニコニコ、いい笑顔をして起きれるわけないもんね。御釈迦様じゃあるまいし。でもご機嫌斜めでもし起きてくれなかったらとか、つまらんところに気をつかうんじゃ。申し訳ないと思っている。でも避けられないことで、在宅を決断するとき覚悟してください。

 24時間のケアサービスがある所は遠慮せずお願いすれば良いと思うのですが……悩むより慣れろですね。介護サービスの人に来てもらい、家事も介護も何もかもお願いして家族の一員のようにいていただくと、家族に気をつかう場面が減ります。お金のほうはなんとかなるでしょう?

 

 

離脱の実例

 

 アイソメトリックは有効          M.Y.  1999、7、9

 T.K.さんからの質問にお答えします。

 Q1.M.Y.さんは自発呼吸はまったくできないとのことですがTryしたことはありますか?また、車椅子への移乗など、どうしていらっしゃるのですか?

 A.あります。だめでした。しかし、私の友人の医師(高校の同級生で30年来の友人、現在心療内科の医師)のアドバイス「呼吸は横隔膜だけでしているのではなく、さまざまな筋肉が補助をしている」で、首の左右前後のストレッチと筋力トレーニング(手で押さえて、抵抗するように首を動かす。これがアイソメトリック)を97年秋から毎日やっています。これは、だいぶ効果があり、首のこわばりが少なくなり、肩も少し動くようになりました。吸引の時間が長くなったので、そのうち自発呼吸にトライしてみます。車椅子へは、天井に備え付けた電動リフターで移動します。呼吸器はつないだままです。たいへん神経を使います。リフターは必需品だとおもいます。自宅を造るとき、あらかじめ考慮しておいたほうが良いとおもいます。天井を補強する必要があります。

 弟さんが自発呼吸、自力呼吸ができるのは驚きです。私のようなトレーニングをすれば呼吸器を外せるのではないでしょうか。私の友人はいつも「患者は医師の判断を超えて回復することがある」といって私を励ましてくれます。また、彼のすすめで、1週間に1回自宅で鍼(はり)治療をしています。これも効果がありました。こわばりがとれて集中力が格段にアップしました。

 Q2.M.Y.さんはご自分のMRIのフィルムをごらんになりましたか? 完全切断でしたか? 弟も初めはC2と診断書に書かれていましたが、今ではC3とか4とか言われる時もあります。いったい何なんだ!と思うことがままありますが、何なんでしょうか……?

 A.フィルムを見ながら説明をうけました。涙がとまりませんでした。事故後2ヶ月、まだICUにいるときでした。完全切断だとのことでした。運動能力とリンクしていないと私もおもいます。「原理的」にはありえないけれど、できることがあるのは人間には補完能力があるからだ、と私の友人はいっています。通常、医師は事実をいうだけで推測はいいません。肉体的個人差もあるとおもいます。入院中、腎臓などの内臓はまったく悪くなりませんでした。心臓は常時脈拍50−55、就寝時には40をきることもありました。これはプロスポーツ選手並みの値だそうです。この心臓はまちがいなく私を助けたとおもいます。Cのいくつかどうかは気にしてません。昨日の自分よりできることが多くなったかどうかが大切だとおもいます。

 Q3.自宅で生活するにあたり、どんなことが必要なのかまったく分からないので、いろいろ教えていただきたいと思っています。

 A.私の自宅もかなり改造しました。ご質問があればいつでもどうぞ。自宅に来ていただいてもかまいません。

 Q4.差し支えなければ、入院していらっしゃった病院名を教えていただけますか? ご自分の受けた治療に対して満足していらっしゃいますか? 信頼できるドクターはいらっしゃいますか?

 A.聖マリアンナ医科大学病院です。満足しています。他の病院では助からなかったといまでもおもっています。チームでみていたので個人的にはいません。みな献身的でした。

 Q5.学会で発表されたというM.Y.さんの症例の論文、見せていただくことができますか? どんな発表だったのか、興味があります。

 A.私もみていませんが話しをききました。

 Q6.カニューレはどこのメーカーのどのタイプですか? 弟は国産の「コーケン」というメーカーのものを使っています。素材が柔らかく、痛みが少ないようです。

 Q7.車椅子のメーカーも選びたかったのですが、病院側から指定されてニッシンのものになってしまいました。なんかデザインとかのセンスもなくて、あとシーティングの大切さとかも考えられてなくて、クッションもローホーでいいんじゃないって感じで言われて、「……」です。

 A.医師も業者も患者は無気力で、当事者能力がないとおもっています。小さいことでも、主体性をもって対応しましょう。なんでも人任せにすることでどんどん完全な病人になっていきます。

 Q8.電動車椅子は、もう少しゆっくり選ばせてもらおうと思っています。

 A.私はいまのところ電動はかんがえていません。呼吸器をうまくつめるかどうかが一番大切だとおもいます。

 Q9.介助者によるページめくり、朗読は大変ですね。マウススティックでページをめくっていらっしゃる方も多いようですが、呼吸器を付けていると辛いですよね。弟もマウススティックでめくるのを練習していましたが、慣れるのにもう少し時間が必要かと思います。パソコンのディスプレイを長い時間見ているのも疲れませんか? 私はページめくり器のもっといいものができるといいなと思っています。

 A.私もスティックでめくる練習をしましたがうまくいきませんでした。そのうち、ネットで読めることを期待しています。

 Q10.英語がお得意ですか?とお尋ねしたのは、M.Y.さんもご存じかと思いますが、『頸髄損傷』を書かれた松井和子先生から、そのご本にも載っているバンクーバーのワンさんが受傷後6年たって呼吸器の離脱ができたというメールをいただいたんです。「ワンさん自身何が効いたか、特定できないけど針、マッサージなど東洋医学も良かったのかなとのことです」ということなので、ワンさんか呼吸療法士のアイリーンさんと直接コンタクトをとってみたいのですが、なにせ英語のできない私たち、ましてや医学用語など出てきてきっと余計訳がわからないと思うんです。間違った解釈をしてもいけないし、できれば同じ障害を持った方に翻訳をしていただけるといいなと思っていたんです。M.Y.さんならきっと私たちが質問するより、より的確なやりとりをしていただけるのではと、最初のメールをいただいた時にピンときました。弟が怪我をして思ったのですが、ほんとに自分の能力のなさに情けなく、本を読むにも人の何倍も時間がかかるし、読んでも正しく理解していないし、パソコンも弟が怪我をしてからようやく始めて、未だにメールの域を出ていないし……。情報収集も必要なところだけ、要約してほしいと言うのはワガママでしょうか。多くの人に、あの本がいい、あの人が情報を持っているらしいと言われ、方々に問合せをして、でも結局「脊損はその人その人によって違うから」という具合で振り回されています。私は、信頼できるアドバイザーが欲しいんです。一緒に考えていける仲間が必要です。障害の程度がかなり違う人や、20年も前に受傷した人にそれを求めるのはちょっと難しいかなと思います。

 A.アイリーンさんは97年秋に病室に松井先生と来ていただき直接話しました。ワンさんの件も知っています。松井先生は自宅にも来ていただきました。私もいろいろな方にお世話になっております。お役に立つことがあればなんでもやります。どうぞご遠慮なく。

 

 鍼は顔と首に打つ        M.Y.  1999、7、13

 T.K.さんからの質問にお答えします。

 Q1.アイリーンさんにお会いになったのですね。どんなアドバイスを受けられましたか? 受傷後1年くらいの時ですね。その時のM.Y.さんはベッドの上で寝ている生活だったのでしょうか。

 A.1日3時間ぐらい車椅子で過ごしていました。自発呼吸、呼吸器離脱についてききました。彼女は“Little by little”といいました。秒単位で訓練し、決してあせってはいけない、といいました。私が I feel like no longer a human being.(もう、人間じゃない気がするんです。)と言ったら優しい目をしてはげましてくれました。

 Q2.ワンさんのように6年経って外せた人もいらっしゃるんですから、M.Y.さんも希望を大きく持って下さいね。ところで、鍼治療ってどこにするんですか? 整体にも興味があるんですが、鍼を選ばれた理由は何でしょう?

 A.もちろん希望は捨てていませんが、体の機能回復より、生きてるあいだにどのくらいのことができるだろうか、というのが今の私の関心事です。主に顔と首筋です。友人は西洋医学の医師ですが、中国医学・東洋医学の研究をしています。彼の関係で大学病院で鍼治療をしている先生を紹介してもらい、1週間に1回往診してもらっています。妻も鍼の打ち方をならいました。ときどきやってもらいます。昔サッカーで膝をいためたことがあるのですが、そのとき鍼がよくききました。それが理由です。体質に合っているのかもしれません。整体ではありませんが、関節の硬縮には気をつかっています。1日2回、30分ずつ柔軟体操をしています。

 C2が5ヶ月で離脱        T.K.  1999、10、12

 知人が「総合リハ・26巻11月号(1998年11月)」という雑誌(?)のコピーを送ってくれました。「人工呼吸器離脱を試みたC2頸髄損傷の2例」という昭和大学病院のドクターの報告でした。25歳の男性は、4年半呼吸器を使用していて、呼吸器使用のため転院を断られ続け、その後昭和大学病院に移り、5ヶ月で完全離脱できたということです。いったい彼の4年半はなんだったんでしょう。きっと、こんなことが日本全国いくつも起こっているはずです。

 これこそ医療費の無駄遣い。適切な治療をしないからこういうことが起きるんです。そして、何よりも人間としての尊厳を無視しています。医者は「できない」と、簡単に言い過ぎます。こんな場合、もし、総合センターのようなところがあって、そこから最初の救急病院に適切な治療の指示がでていたら、彼は早々に呼吸器が外れ、他の身体機能ももっと回復していたかもしれません。呼吸器を付けていると、ほとんどリハビリはしてもらえませんから。運命と片付けるには、残酷過ぎます。

 

 

発声・会話

 

 リーブはカフなしカニューレを使用         M.Y.  1999、3、3

 「タイム」記事中のトラッチはカニューレのことですが、彼は常時しゃべれるカフなしカニューレを使用しているようです。日本ではほとんど使われていません。理由はカフがないと誤飲により唾液や食べ物が肺に流れ込み感染症になると思われているからです。欧米ではしゃべれることのメリット、コミュニケーションのメリットをとっているようです。しゃべれないことのストレスは想像を超えています。日本では気管切開の呼吸器使用者はしゃべれないと思われています。

 それからコフレイターはおそらく coughalater で吸引器のことだとおもいます。コフは咳のことです。

 カフの空気をへらして発声

           M.Y. to 古跡  1999、6、16

 さぞかし大変だとお察し申し上げます。特に奥さまは、絶対当事者でなければわからないご苦労があるとおもいます。私も女房とはついいらいらして喧嘩をしてしまうのですが、彼女の努力と忍耐がなかったら、生きていなかったと思います。

 私の娘は高2と小6です。お互いまだ子供が小さくて大変ですが、がんばりましょう。高知の方というのはK君ではないですか。彼はスピーキングバルブをつかっています。私はつかっていませんがしゃべれます。通常の呼吸器の換気量0.6リットルを0.65にして、カニューレのカフの空気を8ccから3ccにへらし、空気が声帯、口腔にもれるようにしてしゃべっています。この方法は日本では一般的ではないようですが、私にとってはこちらのほうがいい。私は絶対しゃべれないと思われていましたが、しゃべれるようになりました。K君もそうです。可能性を信じて頑張ってください。この件、私もいろいろ試しましたので、不明点があればご連絡ください。

 ただいまスピーキングバルブ訓練中           古跡  1999、9、10

 1997年12月、広島頸損ネットワーク設立に参加。1998年、たくさんの人に囲まれ、生活にリズムができ、体重も戻ってきた。褥瘡も小さくなった。

 1999年1月、四国高知で呼吸器を付けて病院でクリストファー・リーブさんのように話をしている人がいるとの情報を得て、2月妻が高知へ飛ぶ。スーパマンさんと同じモノかどうかは解りませんが、スピーキングバルブを使用しているという情報を得る。3月広島の病院の主治医が、スピーキングバルブをアメリカから取り寄せてくださり、ただいまリハビリで練習中。

 車で日帰りできるところに出かけている。近くのスーパーにも週2回は買い物に。

 

 介助者は口の動きに注目

           古跡  1999、9、10

 願いを聞いてかなえてもらえるかどうか? 足が動かないし手も動かない、声もはっきり出ない、自分の思いを自分でかなえることができない。誰かの手を借りないと何もできない。このことを解決するには? まず自分が頼みたいことがあることを、知らせなければなりません。おーいと呼ぶことは不可能ですので“コンコン”と近くにいる人を舌を鳴らして呼ぶか、コールでちょっと離れた人を呼ぶか、2通りの方法(自分の場合ですが)があります。

 部屋にひとりでいて、呼んだのに伝わらない時は……。ただひたすら我慢、辛抱しかありません。

 伝わったとしましょう。急いで側に来てくれました。さあ願いを伝えます。呼吸器を装着していても、声を出す方法はありますが、常時使用することはできません。通常わずかに口から出る息を言葉にして話します。一生懸命聞いてくれてる、でも伝わらない、何度繰り返しても伝わらない、2人とも情けなくなってしまい涙を浮かべてしまいます。こんなとき耳を傾けるのではなく、口の動きに注目して下さい。しゅーしゅーと出ている音が言葉に聞こえてきます。

 しかしまったく音が出ない言葉があります。それは母音である「あいうえお」なのです。どうしようもないので、もう慣れてもらうしかない。さあ言葉、口の動きが理解でき、願いごと、要望が解りました。でもあなたは用事の途中に来て、何もかもほったり投げて急いで側に来ました。そして、ちょっと待ってね、と言って行ったっきり戻ってこない。そう忘れてしっまたのです。自分は忘れてしっまたあなたをとがめているのではありません。僕の願いごとを軽視したことに、腹を立てているのです。台所の火が付けっぱなし、アイロンのスイッチを切ってくるとか、そんな理由なら納得するでしょう。問題は、僕の願いと、あなたの途中の用事の重要性を瞬時に簡単に、あなたの感覚で選択してしまったことなのです。

 私たちの願い事が、健常者にとっては、しょうもない、下らん、あほらしい要求でも、私たちにとっては重要な要望である時があります。ベッドで、車椅子で、呼吸器を付けて生活してみないと分からないことです。みんな話すから理解してくれとは、あえて申しません。ただお願いしたいのは、願い事が理解できたら、途中の用事が危険な状態でない限り、すぐにかなえてやってください。このことは自分の存在に疑問を持ってしまうほど、ショックを受ける時があるのです。

 どんな小さなことでも聞いてやってください。身体のことだったら、もしかしたら機能回復に役立つかもしれないのです。事実、頸損の人でそういう例があると聞きました。あなたの心づかいで、奇跡が起こる可能性があるのです。またあなたが私たちと他の人たちの間に立ち、通訳のような役目をなさる時、受け止められた言葉を正確にお伝えください。もし「こんなことを言っていいの」と思われても、そのまま伝えてください。伝えたことによって、相手が機嫌をそこねてもいいのです。自分の言葉を伝えてもらうことが、自分が自分であることの証明なのです。

 母親を通訳に           中山  1999、7、31

 ご連絡まことにありがとうございます。当方宅にお越しくださるということですが、ぜひお願いします。

 私は、かなり長い間ふさぎ込んでいたので、自分と同じような障害を持つ人と話をする気になれませんでしたが、インターネットを通じて、さまざまな障害を持つ人が、明るく生きていることを知り、前向きに考えるようになりました。

 ぜひ藤木様と直接会って、お話を聞きたいと思います。ただ私は、人工呼吸器を付けておりますので声が出ません。母親が常に看護してくれておりますので、彼女に通訳をしてもらっております。それでよろしかったらお越しください。


<次へ